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葦の葉通信

 

葦書房

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葦の葉通信

 

10号 2015/11/30

 

1 イスラム教とカリフ

2 中韓の相似と相違

 

 9号 2015/10/24

 

1 ノーベル賞と世界大学ランキング

2 ユネスコの存在意義

3 朝貢外交の今昔

 

 8号 15/9/22

 

1 広開土王碑文

2 縄文土器と埴輪

3 タイ爆破事件の深層

4 安保法と憲法

7号 15/8/30

1 70年談話の意義
2 五輪エンブレム騒動

  追記 9/1
3 自衛隊肉弾盾作戦

6号 15/7/28

1 深まる韓尊日卑 
2 アジアは広い! 
3 ザハ案採用の謎
4 明治産業革命遺産

 

5号 15/6/15

1安保法案と日本の防衛
2 MARS
韓国と従軍慰安婦

 

4 15/6/3

国防
1 構造改革とIT 
2 TRON
と日本のIT教育
3
プログラミング教育
新安保法案
5
大阪都構想のペテン

 

3 15/4/16
沖縄と福島原発
1百済展と歴史の真相
2高麗は日本をモデルにした
3スタップ細胞捏造事件

 

2号 15/3/10
1政治とカネ 
2
移民と日本の戦争責任
3
戦場の真実と未来への提言

1号 15/2/5
歴史の纂奪
 ―百済から通信史

サイト移転のお知らせ
15/2/5

 

 

吉田調書の真実

原発事故と巨大地震の正体

 

 

 

 

 

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 10号 2015/11/30  久本福子 YOSHIKO HISAMOTO

 

1 イスラム教とカリフ

 

  フランスで再びテロが発生しました。しかも130人もの犠牲者が出る無差別テロです。残虐、狂暴であればあるほど、世界へのアピール度が高くなるという仕掛けになっていますが、イスラム過激派といえども、こういう仕掛けを採用し始めたのは、そう古いことではありません。なぜイスラム過激派の狂暴度が高まったのか。この謎を解明しなかぎり、その時々の過激派指導者をいくら打倒しても、イスラム過激派そのものを制圧、掃討することは不可能であることは、事実が証明しています。

 

 9.11テロ首謀者のオサマ・ビンラディンは米軍によって殺害されましたが、ビンラディン以上に狂暴な指導者が次々と登場し、ついにはこれまでの過激派の中では、最も残虐で最も狂暴なISの指導者バグダーディ容疑者が登場し、世界を震撼させています。

 

 このバグダーディ容疑者は、アメリカで2度も逮捕、投獄され、服役後釈放されるといういわくつきの人物ですが、仮に3度目の逮捕で処刑されたとしても、より狂暴化した第2、第3のバグダーディが登場するであろうことは火を見るよりも明らかです。

 

 過激なテロが発生すると、禍の根は元から断つべきだとして、テロの温床になっている貧困撲滅のための支援を強化すべきだという声が、すぐさまあちこちで上りますが、これまで日本も含めて、世界はイスラム貧困圏にどれほど資金援助をしてきたでしょうか。しかし、全く効果はありません。おそらくそれらの支援金の大半は彼らの自立のためには使われず、一握りの指導者や第三者にかすめ取られるということが繰り返されてきたのでしょう。

 

 問題は、一部の資源国や政教分離を導入している国を除けば、イスラム国はどこも自立的な経済活動を営むことができず、絶えず他者依存が常態化しています。なぜなのか。災いの元といえば、ここにまで立ち戻る必要があるのではないか。

 

 現イスラム地域は世界文明の発祥の地の一つであったばかりではなく、7世紀から11世紀頃にかけては、世界最先端のイスラム文明を築き、科学、農業、医術など様々な分野で世界に名だたる大学者まで輩出し、イスラム圏に大繁栄をもたらしたという。なぜそれが可能であったのか。当時のイスラムは最先端文明であったギリシャ・ローマ、インド、中国などの先進文明を積極的に取り入れたからだという。(参照:防衛省OB大田述正(おおた のぶまさ)「イスラム・中世の欧州(その5)」、似たような話をNHKラジオで女性のイスラム学者が話していました。)

 

 かつてのイスラムは、たとえ異教徒の文化であっても、優れた文化は積極的に取り入れるという非常に開明的な姿勢とりを、世界最先端のイスラム文明の構築に成功し、大繁栄を謳歌しました。現在のイスラム圏からは想像もできませんが、この過去と現在の対比の中にこそ、現在のイスラム圏の問題を解くカギが潜んでいるはずです。

 

 イスラム教は、他の宗教に比べて、教義の縛りが非常に強い。特に過激派は、過剰にこの縛りを強化して、イスラム教徒を支配し、自由自在にコントロールしています。パリのテロのみならず、世界中で多発しつづける残忍なテロは、イスラム教徒以外ではどれほどの工作をしてもおそらくは起こりえないはずです。ISの黒幕はアメリカやイスラエルだという指摘がありますし、バクダーディ容疑者は、実はイスラエルの諜報機関から送り込まれたイスラエル人(ユダヤ人)だという驚愕情報までネットに出ていますが、わたしにはその真偽のほどは分かりません。

  

 しかし黒幕が誰であれ、残忍非道のテロを絶え間なく実行しつづけることを可能とするような洗脳工作は、イスラム教徒以外では絶対に成功しません。神に命を捧げることが神への最高の忠誠の証だという教えを無抵抗に受容するイスラム教徒以外には、自爆テロは起こりえません。

 

 テロが発生するとすぐに、イスラム教徒からは、テロはイスラム教徒本来の教えに反するという批判が上がります。しかし、イスラム教徒以外では、他者を殺傷するための自爆テロは起こりえません。かつてのベトナムや現在のチベットでは、政府の仏教弾圧に抗議して、僧侶の焼身自殺が相次ぎました。わが身を殺傷する自殺は仏教でも禁じられていますが、仏教僧は戒を犯してでも、政府の虐政にわが身を賭して抗議するのです。しかし仏教徒は、衝撃を大きくするために、他者をも巻き込もうとは誰も考ええません。

 

 自爆テロは、イスラム教以外では起こりえないという厳然たる事実を、世界は直視すべきはないないか。ではイスラム教の何が問題なのか。わたしはイスラム教については、ほとんど無知に近いですが、無知は無知なりの発言は許されるはずです。素人判断ですが、イスラム教と他の様々な宗教との決定的な違いは、宗派によって呼び名は異なるようですが、ムハンマドの後継者とされる、いわゆるカリフの存在にあるのではないかと思われます。カリフは現存する生身の人間ですが、ムハンマドの後継者として、最高の宗教的権威と権力を持つと同時に、政教一致が一般的なイスラム圏では、政治的な最高権力をも同時に付与されるという、異様な独裁体制を可能とする仕組みが教義の根幹に存在しています。

 

 イスラム過激派はその体制を純化したものであり、一般的なイスラム教との違いは、カリフが穏健か過激かという点にあるだけだと見ても間違いはないのではないか。このイスラム教の特性を直視しないかぎり、イスラム過激派によるテロ攻撃を封じ込めることは不可能ではないかと思われます。穏健で開明的なカリフの時代には世界に冠たるイスラム文明を築き、カリフが偏狭な過激派ならば、信徒は生きた爆弾として次々と自爆テロにわが身を破壊することになる。この二つは、紛れもなく同じイスラム教を映す、典型的な二つの異なった姿です。

 

 ただ、海外メディアによると、ISの自爆テロ犯たちは、麻薬中毒患者に仕立て上げられて、自爆テロに走っているとのこと。なぜか日本のメディアはこのニュースは全く報道しませんが、彼らはアッラーに忠誠を誓ってわが身を投げ出したのではなく、麻薬に操られてわが身を破壊しているらしい。地下鉄サリン事件で、無差別大量殺人を企てたオウム真理教も、麻薬を使って信徒の高揚感を演出していたとのことを何かで読んだ記憶がありますが、しかしいくら麻薬を使っても、外部への攻撃のための大規模かつ持続的な自爆テロを実行しつづけることは、イスラム教を使った、イスラム過激派以外には不可能であることは明らかです。世界は、なぜこの現実から目をそらそうとするのでしょうか。

 

 イスラム系移民を大量に受け入れているにもかかわらず、フランスが繰り返しテロの標的になったことに関連して、政教分離を厳しく定めたフランスはイスラム教に対しても厳しいとの批判まで出ていますが、批判する相手が間違っているのではないか。イスラム教と他宗教との決定的な違いを生み出しているカリフの存在が、イスラム圏の経済的、政治的停滞の最大の原因であることは明白です。この障害を排除するためには、イスラム圏での徹底的な政教分離は不可欠です。日常生活まで事細かく規制しているらしいイスラム教の特性からするならば、両者の分離は難しいかもしれませんが、カリフの権力を政治や経済分野から排除し、宗教分野にのみ限定すること。これ以外に、イスラム圏に平和が戻る道はないのではないか。

 

 イスラム教は7世紀初め頃ムハンマドによって創始されますが、ムハンマドはイスラム圏の拡大を図って、周辺地域に版図を拡大します。ムハンマドの死後も、イスラム圏は拡大しつづけ、7世紀から11世紀頃、巨大なイスラム国家(王朝)を築き、イスラム文明は大繁栄を謳歌します。8世紀に入ってその頂点を迎えたそうですが、その繁栄も、カリフの乱立、すなわち国家(王朝)の分裂で一気に衰退に向かいます。当時は、どこの国や地域でも政教一致が一般的だったと思われますので、政教合一したカリフの存在も特異なものではなかったはずですが、時代の進展とともに宗教だけでは事を決することは難しい状況が生まれてきます。西洋ではルネサンスによって、宗教的な抑圧の壁が突き破られました。しかしイスラム圏では、ルネサンスはついに訪れることもなく、今日にまで至っています。

 

  イスラム圏内部ではイスラム教強化のイスラム復興は起こり得ても、その逆を目指す宗教改革やイスラム版ルネサスは不可能だと思われますので、まずはイスラム移民たちが宗教改革に踏み出すべきではないか。また、元植民地であったといういきさつがあったにせよ、フランスがイスラム圏から大量に移民を受け入れてくれたのであれば、フランスの政教分離策に従うのが、人として当然の道ではありませんか。なぜ自分たちがフランスに移民しなければならなかったのか。フランスのみならず、EUに怒涛のようにおしよせているのは、イスラム圏からの移民ばかりです。なぜなのか。自国政府がまともな統治能力を持っていないからだという現実を彼らは直視すべきです。

 

 欧米露などの大国に翻弄されてきたという歴史は無視はできませんが、かつてイスラム王朝は現在の西欧を配下におく高度な文明をもった繁栄国家を築いていたのですよ。かつてのイスラムの繁栄は、西欧などの異教徒の文明も進んだものは積極果敢に取り入れた結果実現したのです。しかし現在のイスラム教は非常に偏狭です。自ら移民としてEU各国に渡っていながら、彼らは西洋流教育を拒否して、移民先でもイスラム流教育を行っています。移民先政府も世界の風潮も、それが移民の当然の権利だとして、同化策はむしろ批判の対象にさえなっていますが、これでは移民の能力向上など実現されるはずはありません。西欧のイスラム化が進むだけです。

 

 近年、移民受け入れは、先進国の義務であるかのような風潮が世界中に蔓延していますが、イスラム教徒にとってもどこの国の人にとっても、移民などせずに自国で暮らせるのが一番幸せです。移民の人権を根本から考えるならば、彼らが移民をせずとも、自国で暮らせる環境を構築することです。しかしそれは民主主義体制の構築を意味するものではなく、政教分離というイスラム教そのものの大改革を断行することです。イスラム教の大宗教改革なしには、民主主義も全く意味をなしませんし、そもそもイスラム教を国教ないしは準国教とするイスラム指導者たちは、自国民のイスラム教徒を飢えから守ることすらできません。

 

西洋的知の優位性   好むと好まざるとにかかわらず、西欧的知を学ばずして、自立的な社会を維持することは不可能です。イスラム帝国同様、かつては世界に冠たる大帝国を築いた中国も、西欧的知の摂取を拒みつづけてきた結果、西欧の餌食になったばかりか、政治的独立を果たした後も、自立的な社会を築くには長い歳月を要しました。 

 

 ところで日本はすでに16世紀の戦国時代に、スペインやポルトガルなどの宣教師などを通じて、西洋文明の先進性に目覚め、当時の指導者である日本各地の戦国武将たちは、キリスト教をも含めて西洋の知やその知によって生み出された文物を積極的に移入、摂取し、日本文化を刺激的に進展させました。江戸幕府開府後も、仙台藩の伊達政宗は1613年にスペイン、メキシコ、ローマに慶長遣欧使節団を派遣しています。関係資料が世界遺産に登録されていますが、キリスト教を介した西洋との出会いは、日本の非常に美しい漆塗り工芸品が、宣教師たちによって西洋に広まる契機をも提供してくれています。

 

 後に西洋の支配を恐れた秀吉や家康は、キリスト教禁教令を発して、キリスト教そのものは厳しく取り締まりましたが、西洋的知の摂取だけは続けたいとの方針で、長崎の出島に限定して、オランダ船の来航を許可し、オランダを介した西洋文化の移入を可能にしました。日本の指導者は古代においては中国文明の先進性を理解し、その文明摂取に全力を注いできましたが、中世から近世に至ると、西洋文明の先進性をも理解し、西洋文明の摂取にも知恵と工夫を働かせきました。この点が西洋を排斥するだけであった中国や韓国との大きな違いです。韓国は中国直属の属国であったにもかかわらず、その中国文明すらほとんど理解せぬまま、中世、近世へと至っていますので、韓国の偏狭さは、中国以上です。

 

 ではイスラム諸国ではどうであったのかといえば、一部を除き、西欧的知に対しては今なお偏狭です。数年前、アフガンで成人向けの学校が開設されたとのニュースがありましたが、アフガンの成人は単純な足し算、引き算もできず、学習はここから始まったとのこと。信じがたいニュースですが、事実です。

 

 おそらくどこの国でも[Y1] 、学校に行かずとも、また文字を知らずとも、生活の必要に迫られて簡単な足し算、引き算ぐらいは自然に身につくはずですが、アフガンの人々にはそんな能力すらも身についていなかったということです。わざわざ学校を開いていることからも分かりますが、これは個人的な能力の問題ではなく、アフガン人の置かれてきた環境に起因するものであることは明らかです。長い歳月に渡って、自らの頭で考えることを極度に抑圧されてきた結果ではないかと思われます。アフガンはイスラム圏でも極端な例かもしれませんが、それゆえに、イスラム教のもつ思考抑圧力の異常さを象徴していると思われます。しかしイスラム以前の古代のアフガンには、黄金輝く華やかな文化、文明が花開いていたという。

 

 政治、経済分野のみならず、医学、科学分野などありとあらゆる分野にまでカリフの裁定が必要とされるような体制では、科学技術が発展するはずはありませんし、人々に自由で自律的な思考力が芽生えるはずはありません。教義の特性上、困難かもしれませんが、徹底した政教分離を貫徹させ、カリフには純粋に宗教的な領分以外には一切介入させないという、大宗教革命を起こさなければ、イスラム圏の自立は不可能でしょう。この革命は、イスラム教徒が自らの頭で物事を考える基盤を生み出す大革命でもあるはずです。イスラム教徒が自律、自立の思想を獲得することなしには、イスラム圏の経済的、政治的自立はありえないはず。

 

 

2 中韓の相似と相違

 

 前号9号「3 朝貢外交の今昔」で、西日本新聞に掲載されている、元新日鉄社員だった鈴木則夫氏の、韓国の浦項(ポハン)総合製鉄所(現ボスコ)建設時の支援体験聞き書きシリーズで、韓流捏造がなされていると書きましたが、偶然なのかどうか、9号公開後間もなく、日本側資料を基にした詳細な事実が語られ始めました。新日鉄と合併する前の富士製鉄の資料を基にしたものですが、韓国ではもとより、おそらく日本でも公の場では語られることはなかったであろう事実が明らかにされています。捏造で貫徹されるはずだというわたしの予測が外れたわけですが、喜ばしい限りです。

 

 当初、浦項総合製鉄所は、日本ではなく欧米の協力を得て建設する予定で、朴大統領(現朴大統領の父親)は「総合製鉄所建設事業推進委員会」を設立し、アメリカや西ドイツなどの欧米5か国の企業8社のコンソーシアムKISA(対韓国際製鉄借款団)と契約を交わし、世銀の承認を得て、各国の輸出入銀行から融資を受ける計画を立てていたという。1968年4月のことです。

 

 しかしKISAによる総合製鉄所建設企画案は、韓国自身では作成することができず、韓国の建設委員会は日本の富士製鉄、八幡製鉄、日本鋼管の3社(ジャパングループ、JG)とコンサルタント契約を結び、KISAに提出する企画案を作成したという。のみならず日本の鉄鋼各社は、韓国で直接技術指導すると同時に、韓国から実習生受け入れ、研修までさせたという。ちなみに、浦項総合製鉄はKISAとの交渉時の1968年4月に創設されたそうですが、創立時の社員はたったの39人だったという。

 

 人材もゼロ、何もない中での大構想が、泥縄式で日本に協力要請がなされて始まったのですが、当然の結果というべきか、世銀の反対でKISA計画が頓挫。そこで韓国は、日本に製鉄所の建設そのものを依頼し、鉄鋼メーカ(JG)がグループで支援することになったという。1969年の年末に日韓閣僚会議が開かれ、資金調達に関する協定が結ばれたという。日本政府の支援も得て、浦項総合製鉄所建設がやっと動きだしましたが、資金、技術支援のみならず、人材育成も全て日本が担ったといっても過言ではりません。 

 

 その第1期工事が始まったのは1970年4月、JGだけで140人、プラントメーカーや建設会社からも数百人が派遣されたそうですので、日本人技術者たちは、単に技術アドバイザー役を務めただけではなく、建設作業そのものも実質的に担ったといっても過言ではないはずです。建設資金は鈴木氏によれば、65年の日韓基本条約締結により、日本が支払った無償3億ドル、有償億ドルの資金が当てられたとのことですが、この建設資金については、浦項製鉄所建設に奔走した初代社長の朴泰俊氏(2011年死去。旧制麻布中、早稲田大機械工学-科出身)にインタビューした中央日報(2008/3/26)の記事<「新日鉄の支援なしに今日のポスコはない」朴泰俊名誉会長>によれば、「(無償) 3億ドルのうち、当時使って残った金額は7370万ドルだった。 さらに日本輸出入銀行から5000万ドルを借り、本格的な工事を始めることができた」という。

 

 日本は敗戦により、GHQの試算でも53億ドルにも上る韓国内の資産を放棄した上に、1965年の日韓基本条約締結に伴い、無償3億ドル+有償2億ドル、民間による円借款3億円の合計8億ドルの資金援助をも実施しましたが、韓国国民の個人補償にも使われるべきはずであった無償3億ドルが、わずか2年経つか経たないうちに2億3000万ドル近くも使われてしまっていたとは驚きです。当時の韓国の国家予算が3,5億ドルであったそうですので、この額がいかに巨額かが分かります。そこで朴大統領は欧米にも頼ろうとしたのだろと思われますが、欧米は日本のようには甘くはない。そこで再び、日本に頼る。

 

 韓国に対して、欧米のどこも技術支援はもとより、一銭の融資もしてくれなかった中で、日本は、あらたに5000万ドル融資したことになります。しかも技術協力は、それによって生み出される富を考えれば、実質的な支援額は、当初の額面額を無限大に拡大した額になります。娘の現朴大統領も父親と一緒に、浦項製鉄所の建設現場を視察している写真が掲載されていますので、朴氏も日本の無償、無限の貢献を知らないはずはありませんが、朴大統領は、こうした事実を完全に隠蔽しています。

 

 戦前、日本の統治下(植民地)時代、朝鮮総督府(日本政府)は、朝鮮半島北部(北朝)を重工業地帯として開発し、銑鉄から鉄鋼製品の製造までの一貫製鉄所なども建設しましたが、それらの施設は今も北朝鮮で稼働中です。南部(韓国)は軽工業が中心になっていた関係上、韓国には規模の小さい製鉄所はありましたが、総合製鉄所はありませんでした。

 

 そこで朴大統領は大構想を計画したわけですが、この計画が浮上したのは、1968年、韓国が日本から独立してから23年も経っています。20年という歳月は、全国民とまではいかなくとも、少なくとも各分野でのエリート層の育成には十分すぎる歳月です。韓国が、総合製鉄所の建設はもとより、KISAに提出する計画案作成すら日本に全面的に依存せざるをえなかったということは、そのエリート層すら育っていなかったことを証明しています。この間、1950年から1953年まで朝鮮戦争があったとはいえ、独立後の韓国では、まともな教育がなされていなっかたことは明らかであり、韓国の独立後の教育の貧弱さを証明しています。

                                         

 李承晩初代大統領(1948年―1960年)以来、現朴大統領に至るまで、韓国の教育の最大の目的は、捏造歴史による反日教育におかれてきましたので、時代の要請に対応できる、基礎的な能力を育てる教育はほとんどなされてこなかったのでしょう。つい先日、『帝国の慰安婦』を書いた、朴裕河(パクユハ)教授は、元慰安婦たちによる名誉棄損の訴えを受け、韓国の検察に名誉棄損で起訴されたという。検察は、秩序の維持のためには、言論の自由も学問の自由も制限を受けるのはやむをえないと、起訴の理由を示しているという。産経新聞の加藤達也前ソウル局長起訴で、すでに韓国政府の露骨な言論弾圧姿勢はあらわになっていましたが、さらに強化されつつあるらしい。異論を許さぬ韓国の偏狭さは韓国の伝統そのものだともいえますが、その偏狭さが韓国人の思考の自由を奪っていることは、イスラム教徒の思考の偏狭さと共通したものだともいえそうです。

 

 2年ほど前、韓国のソウル大学では、ノーベル賞級の世界の碩学を招聘する事業を開始しましたが、その第一号としてアメリカのノーベル経済学賞を受賞したニューヨーク大学のサージェント教授を年俸1億5000万円の2年契約で講義が始まったものの、教授は突如、理由も告げず任期途中で帰国し、2年目の教授の授業はキャンセルされたという。1年ごとの契約だったので、キャンセル料は発生しないそうですが、いくら破格の報酬でも、韓国では教えたくないという事情があったのだろうと思われます。

 

 当初の予定ではサージェント教授に続いて、同じくノーベル賞受賞者のイスラエル工科大学のアーロン・チカノーバー教授、アブラム・ハーシュコ教授、ダニエル・シェヒトマン教授が碩学講座を担当する予定になっていたことが報じられていましたが、サージェント教授のドタキャン以降、韓国での世界の碩学講義は実施されていない模様。いくら超破格の報酬を示されても、韓国では教えたくないというのが、決して公にはされないものの世界の碩学の共通した思いなのかもしれません。そのうち、欧米がダメなら日本人ノーベル賞学者を呼ぼうかということになるかもしれませんが、韓国がまずなすべきことは、自由で柔軟な思考を育む環境を作ることです。耕していない固い土壌では、いくら肥料を与えても植物は育ちません。人間も同じです。韓国は世界的に優秀な民族だとの思い込みや、政治的な強い規制で縛られた中では、基礎的な能力すら十分には身につきません。

 

 無人機をめぐっても興味深いニュースがありました。アメリカでは軍や国家機関の技術の一部が民間に開放され、それらの技術を使った事業が商用化されていますが、数年前、その放出技術の一つだと思われる、無人機技術を使った新種の商売が始まりました。設計図を無料で公開し、部品を買わせるという事業です。おそらく、最新機からするとかなり型落ちしたものだろうと思われますが、無人機の基本性能は当然、備えているはずです。数年前、この設計図無料の無人機を、韓国軍が導入することを発表しました。アメリカ軍の無人機の完成品は余りにも高価で購入できないということで、部品を購入して自ら組立てることにしたとのことでした。しかし以来、今日まで韓国で無人機が作られたとの情報はありません。韓国領内で無人機が墜落したというニュースはありましたが、韓国は北朝鮮から飛んできたものだと発表しています。しかしおそらくこの墜落無人機は、設計図を見ながら韓国が自作したものの失敗したものだと思われます。

 

 そうこうする内に、中国では中国軍が無人機を自作し飛ばし始めただけではなく、民間企業でも無人機が製造されはじめ、中国産の無人機がまたたく間に、日本企業未参入の日本の無人機市場を席捲してしまいました。おそらく中国軍も民間企業も、このアメリカの無料設計図を大いに参考したのではないかと思われます。韓国人はいくら部品が揃っていても、抽象的な設計図だけでは製品を完成することはできないけれど、中国人は部品と設計図さえあれば製品を完成させることができたわけです。あるいは中国は設計図だけで部品も自前で調達した可能性はあります。

 

 もともとDNA的に思考の幅が非常に偏狭な韓国人は、根本的な大革命でも起きない限り、この差は永遠に埋まらないはずです。日本企業はタダの設計図で無人機を作ろうとはどこも考えないでしょうし、物がモノなので、危険回避のための法整備をまってからと躊躇していたのでしょうが、法も何もおかまいなしの中国企業は、無人機商戦の最初の勝者になりました。

 

 しかし無人機は空飛ぶパソコンと言われていますので、パソコン製造技術、IT技術があれば、基本形の製造はそう難しくはないはずですが、世界のIT市場を席捲しているはずの韓国企業が総力を結集しても、無人機製造には成功しなかったようです。韓国人の応用力の欠如を物語っています。浦項製鉄所建設でも見てきたように、日本はこの韓国に対して、日本以外のどこの国も絶対にしないような最先端技術を手取り足取り、懇切丁寧に伝授してきました。日本は日本政府自らが旗を振って、日本企業を窮地に陥れるような技術移転を韓国に対して延々と続けてきたわけです。その韓国の日本への返礼が、世界で展開する日本叩きと、慰安婦像の増殖です。日本の政治家と外交官の無能無策な無能力を語って余りあります。安倍政権は、歴代政権のこの悪弊を断ち切ってくれるのではないかと期待していますが、それも支持率如何でどうなるか分からいないというのが現実です。

 

 ところで、鈴木氏の聞き書きシリーズには、韓国以外にも製鉄プラント建設に協力したことも紹介されていますが、韓国への支援は格別であったとも書かれています。韓国での第一期工事が完成したのが1973年6月ですが、おそらく日本の韓国支援を見て、中国政府が動き出したのでしょう。1972年8月に、日本の経済団体の団長として訪中した当時の新日鉄の稲山嘉寛社長に対して、中国政府から武漢市の製鉄プラント建設の要請がなされたという。その一ヶ月月後に、田中角栄元首相による日中国交回復と日中共同宣言が実現したのでした。新日鉄は、武漢のプランに続き、上海での銑鋼一貫製鉄所の建設にも協力することになったという。

 

 鈴木氏が直接関与しなかったからか、中国に関してはわずか数行しかなく詳細は不明ですが、日中国交回復に際して、日本は表には出さない裏援助として中国に有償無償の巨額資金の提供と技術支援を約束したことは、一部では知られているとおりです。武漢のプラントと上海の銑鋼一貫製鉄所は、日本の資金援助によって建設されたであろうことは明白です。中国も韓国同様、日本の資金や技術援助で近代化を進めたいとの思惑もあって、1972年9月の日中国交回復が実現したものと思われます。

 

 しかしこの時発表された日中共同宣言には、中国は日本に対する戦後賠償請求を放棄すると明記されています。にもかかわらず日本政府は、明文化しないまま、裏援助を開始します。日本国の巨額の税金を投じて中国に経済支援するというのに、1972年の国交回復時の日中共同宣言にも、1978年に締結した日中平和条約にも、一文字たりともその旨の記載がありません。何を目的にした経済支援なのか、また支援額の総額はいくらなのか、全く不明のまま日本政府は中国に対して、延々と裏支援を続けてきたことになります。

 

 外交交渉としても下の下ではないかと思いますが、この時の大失政が、日本を窮地に陥れています。仮に明文化しても韓国同様、中国も無視する可能性はありますが、日本側としては不当な要求だとして突っぱねる根拠にはなりえます。しかし日本の歴代政権が、カネと技術支援で韓国、中国の歓心を得るという無能な外交を続けてきたことが、中韓の反日攻勢を生み出すおおもとになっていることを政治家はしかと認識すべきです。

 

 新日鉄は1969年にソ連から耐久性に富んだ高炉技術を購入して新高炉を建設したそうですが、他国の技術はカネを払って購入するものです。新日鉄がソ連から購入した高炉の新技術も、日本の税金を使って中韓に移転して差し上げたわけです。こうした無能外交の結果、中韓に対して、資金と技術は日本からタダで貢がせて当然だという意識を、日本の政治家が植え付けてしまいました。

 

 しかし日本は戦前にも、朝鮮半島北部には総合製鉄所を建設し、中国では満州に総合製鉄所である昭和製鋼所(鞍山製鉄所)を建設しています。

 

 満州の製鉄所は高炉9基を擁する大規模な製鉄所ですが、日本の敗戦後、ソ連がこの製鉄所の最新設備を解体して自国に持ち帰りました。この解体には同製鉄所に勤めていた日本の技術者が協力させられましたが、解体に関わる詳細なリストも含めて、当時の記録をひそかに持ち帰ったという。この貴重な資料を分析した岡山大学の松本俊郎教授の論文「1940年代後半における昭和製鋼所の製鋼工場」(岡山大学経済学会雑誌30(1)、1989年)がWEBに公開されていましたので、それを参照して書いていますが、満州に残されたこの巨大な総合製鉄所は、ソ連のみならず、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党三者の奪い合いになったという。(論文ではもっと穏やかな表現になっていますが)

 

 ソ連が奪い取った設備の残りを国民党軍が接収して稼働させ、鉄鋼製品を製造していたという。しかし22ヶ月後に共産党軍の攻勢を受け、国民党軍は製鉄所を放棄し、台湾に亡命。ついにこの製鉄所は中国共産党軍の手に落ちてしまいました。

 

 占領者は変われども、この間、日本人技術者が技術指導を続け、中国共産党も日本の技術者の指導を受けながら、鉄鋼製品の製造を開始したという。日本人技術者は貴重な人材ということで、心身両面において危害や圧迫を加えられることもなく、自由に技術指導を続けることができたという。さらに特筆すべきは、この製鉄所の創業以来の日本人技術者による詳細な操業記録が残されており、機器や操業の問題点を詳細に検討、検証をする際の貴重な資料になったという。

 

 三者三つ巴の奪い合いになったことからも分かるように、この製鉄所は非常に優れていたわけですが、共産党による新中国の経済建設に多大の貢献をしたことは言うまでもないでしょう。ソ連は第二製鋼所の先進設備を持ち出したそうですが、共産党は残った第一製鋼所を使って生産を始めたという。第2製鋼所も修理をして操業を開始し、満州時代とほぼ同水準の生産に達し、ついには満州時代を凌駕するほどの鉄鋼生産を実現したという。新生中国建設に燃える中国人技術者の努力の様子も論文には記されていましたが、日本が建設した製鉄所の設備そのものの優秀さ抜きには、増産は実現しなかったはずです。

 

 1972年に、中国が新規に製鉄所を建設するに際して、資金のみならず、技術も全面的に日本に依存してきたということは、中国では、ゼロからの製鉄所建設は不可能であったということです。製鉄所建設に際して、新日鉄からは技術者を派遣し、中国からは実習生を受け入れ、人材育成にも協力したという。

 

 戦後の共産党中国の経済建設に多大な貢献をした日本製鋼所は、日本の満州国建国抜きにはありえなかったわけですが、中国はこの歴然たる事実を無視、隠蔽しています。しかも日本が満州に残した遺産は昭和製鋼所だけではありません。さらに莫大です。日本の貢献を徹底的に隠蔽し、反日活動を世界で展開する韓国、中国を相手にするときは、貢ぐだけという最も安易で楽な朝貢外交は、日本を窮地に陥れる結果にしかならないことを、政治家はしかと認識すべきです。

 

 製鉄所建設を巡っても日本に全面依存してくるという点では瓜二つの韓国、中国ですが、建設時の対応では違いも見せています。韓国で最新鋭設備を備えた第3基工事建設に際して、浦項の朴社長は責任者の鈴木氏に、日本では考えられないような短い工期で建設してほしいといわれたという。鈴木氏はそんな無茶をすると、建設中に20〜30人は犠牲者が出ますよと答えたところ、朴社長は、犠牲者が出てもかまわない。この工期厳守は朴大統領の厳命なので、絶対に守らなければならないとして、工期の延長は認めなかったという。結果、完工まで(1976年6月―1978年11月)の韓国人作業員の死者は、48人にも上ったという。

 

 国民の命は虫けら以下だという韓国支配層の冷酷な深層心理が露骨に表れています。現朴大統領が、4百数十人もの死者が出たセゥオル号事件発生時に7時間も姿をくらまし、意図的に救助を遅らせて、多数の死者を出しても平然としているのは、韓国支配層の伝統的な冷酷な深層心理によるもののようです。しかし韓国民は、朴大統領の行動に不審の目を向けた産経新聞の加藤前支局長を叩きはしても、この殺人鬼のような大統領の存続を許しています。我々日本人には理解不能。

 

 一方中国では、鈴木氏が一度視察に訪れた武漢市の建設現場では、足場は竹を組んだだけの原始的なものだったそうですが、工期が十分にとられていたので、建設時の死者は一人も出でなかったという。中国共産党も、人民の命よりも共産党の繁栄と存続を最優先していますが、その共産党といえども、何人死者が出てもいいから、工期を短縮しろとはいわなかったということです。

 

 ところで鈴木氏は民間人として今なお、韓国への技術移転に励んでおられます。鈴木氏は新日鉄を退職した後、関連会社の社長に就任され、大分の異業種交流活動を通じて、韓国の中小企業への技術移転を推進されています。精密機器や自動車工学から始まって食品加工まで多種多様な分野に渡っています。大分にはキャノンなどのIT企業も拠点を置いています。中小企業を介しても、日本の技術が韓国に移転されつつあるわけです。

 

 大分での韓国支援は、日本から購入せざるをえない部品を韓国内で作りたいという韓国側の要望を受けて、2000年から始まったそうです。日本の中小企業は親会社の指導を受けながら、自らも学び、工夫して日本の製造業を支えてきたわけですが、韓国では中小企業の育成まで日本に任せようというわけです。日本政府は日本の国税を使って、自ら韓国の中小企業育成事業をも続けてきました。それが今も続いているのかどうかは不明ですが、大分では今現在も続いているわけです。地方からの技術移転に際しても、韓国側からは技術移転費用は一銭も払われてはおらず、全て日本の無償奉仕のはずです。

 

 日本人が余りにもお人好しすぎるとはいえ、韓国の大企業はなぜ自ら資金と人材を使って、中小企業の育成に努力しないのか。韓国政府もなぜ自国内で中小企業の能力向上の事業を行わず、何もかも日本に頼ろうとするのか。先進国を自認している国として、恥ずかしくないのですか。

 

韓国は、完成した技術を日本からタダで移転してもらうという、もっとも楽でカネのかからない方法で先端技術を手に入れるということを繰り返してきた結果、いつまで経っても韓国は、学術的にはもとより、生産現場でも基礎的な力が身につかない。そもそも 自国の技術をタダで他国に移転し続けている国は、世界広しといえども、日本以外にはありえません。

 

 韓国の真の自立を願うのであれば、今後日本は、いかなる分野の技術であれ、韓国にはタダで技術は移転しない、教えないと決意すべきです。そのためには、韓国並びに中国からの従軍慰安婦や歴史認識問題攻撃に対しては、カネや技術を貢いでナダメルという従来の安易な方法から脱却し、世界に向かって日本の無尽蔵に近い貢献も含めて真実を伝えるという、困難を伴う正攻法で対処する覚悟が必要になることはいうまでもありません。

 

 ところで日産はなぜ日本のメーカーからLG電子に変えたのか。LGが日本のメーカーの3分の1のコストで部品を生産してくれるからだという。日本の部品メーカーの技術がLGに移転されたわけです。技術が同等ぐらいになれば、コストが勝負を決します。日本で製造コストを3分の1にすれば、人口増どころか、労働者の大半は餓死せざるをえなくなるでしょう。同様の事例が今後も出てくることは避けがたい。先進国が後発国に追い上げられるのは宿命ですが、日本政府が自ら後進国、特に韓国、中国の追い上げに手を貸し、その追い上げ速度を加速させることは、売国行為以外の何物でもありません。韓国、中国は他者から受けた恩に感謝することを知らないだけではなく、その恩を徹底的に隠蔽し、日本を非難しつづけます。中韓二国は人品卑しく、タチが悪すぎます。

 

 ちなみに鈴木氏は、最新鋭の浦項製鉄所第3基工事を支援した際、工事終了後、日本の企業グループJGのメンバーの技術者20人に、各部門の評価や問題点をレポートにまとめてもらい、それらを基にB4用紙58枚の提言書としてまとめて浦項製鉄所に提出したという。至れり尽くせりの徹底したご奉仕ぶりです。なぜ日本人はこれほどお人好しなのでしょう。あらためて言うまでもありませんが、この事業は日本の税金を投じてなされた支援事業です。ところで、鈴木氏のこの聞き書きシリーズは、通常は50回つづくところを39回で最終回となっています。

 

 しかし韓国への技術移転は工業分野だけではありません。米、果物、お茶などの農業分野の生産技術も日本から韓国へ着々と移転されています。農業分野の特性から、日本各地の地方から韓国に移転されています。高級果物は、韓国産のものは未だ日本産には及びませんが、韓国に移転されている農産物生産技術は、やがてくるであろうといわれている東南海地震予定地域が全てカバーされています。もしもこの超巨大な地震が発生したならば、工業製品のみならず、農業製品も韓国から輸入されることになりそうですし、日本に代わって海外に輸出する可能性すらゼロではありません。

 

 ドイツのVWの不正問題が発覚して間もなくの頃、韓国紙はVW不正問題による「反射益」を計算した記事や、客層の違いから韓国車にはほとんど反射益は見込めないという記事が堂々と掲載されていました。検索中にたまたま目にして、余りにもあからさまな記事にびっくりしてしまいました。「反射益」とは、不正発覚によるVWの売上減が韓国車の利益になることを意味していますが、反射益とは初めて目にする言葉ですし、そもそもこの言葉そのものが日本語にはありません。

 ネットで検索すると法律用語としての「反射的利益」のみ一例ありましたが、反射的利益とは、法律によってなされる公益保護によって、間接的に個人もその利益の恩恵を受けることはできるが、直接的な権利ではなく、仮にその恩恵を受けることができなくても個人は公を訴えることはできないという意味のようです。字面は似ていましたが、韓国人が使う反射益とは似ても似つかぬ意味でした。

 

 反射益はおそらく韓国固有の言葉、造語なのでしょう。言葉はその国の思考、思想を表徴するものです。つまり韓国は、他人の不幸を積極的に自分の幸福実現の手段にすることが、全く後ろめたさや罪悪感なしに堂々と実行できる社会であるということです。我々は、韓国人のこの民族魂を片時も忘れるべきはありません。

 

 日本車が生産不能に陥った3.11では、韓国車は多大な反射益を得ましたが、日本車の生産力が回復すると、韓国車の反射益はほとんど消滅しています。反射益頼みで利益を追及するならば、絶えず反射益を生み出すための環境づくりに精魂を傾けざるをえなくなります。それは他者を不幸に陥れる環境を生み出し続けることを意味する、地獄の思想です。当然のことながら、この手法では一時的に利益は出ても、技術力の向上には全く役立ちません。むしろ基礎からこつこつと学ぼうという機運の到来を阻害しつづけるだけでしょう。反射益を追求するような卑しい精神では、真の自立は達成できないということです。

 

 しかし韓国政府は、自前で生産できないにもかかわらず、日本と同等の技術を手にしようと、日本政府を恫喝し続けます。韓国政府が、日本政府恫喝の唯一の手段である従軍慰安婦問題を絶対に手放さないのもそのためです。

 

 ここでもう一度、葦の葉通信8号に掲載した「日韓基本条約」を掲載します。

 

<日韓基本条約 第二条> 1965622日締結

「1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」

 

従軍慰安婦や徴用工は韓国国民です。韓国の最高裁判所はこの条約を無視した判決を次々と出しつづけていますが、韓国の最高裁判所と韓国政府並びに韓国国民は、「その国民(法人を含む。)の財産、権利及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決された」ことがこの条約に明記されていることを直視すべきです。

 

 ところで最後に、以前読んだ人工気象装置の歴史を辿った本の紹介をします。図書館の棚でたまたま見つけて読んだ本ですが、それによると、アメリカでは1800年代にすでに、気象を人工的に操作する技術が民間でも積極的に開発され、農産物育成のための気象環境の人工的な改変に実地に使われたという。日本では神仏に祈って雨ごいをしていた頃から、アメリカでは人工的に気象を改変しようとした人々がいたということは驚きですが、当然のことながら現在もいるということです。

 

 アメリカでは軍が気象兵器の研究開発を行っていると聞いても誰も驚かないだろうと思いますが、民間でさえ、気象改変装置を開発してきた長い歴史があると聞けば、やはり驚かざるをえないだろうと思います。この無法的な自由さ、無法的な大胆さがアメリカの活力源の一つかとも思われますが、時と場合によっては、危険きわまりない事態をも招きかねません。我々はこのことも片時も忘れるべきではないと思います。

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